MSXとはMSXの事である 第1回「俺様とMSX」

MSXとは…!?

 

【ホビーパソコンとしての産声】
MSXの歴史を語るブログはいくらでもありそうなので、
ここでは歴史に関してはざっと流して
当時の印象とか体験した事を中心に語っていこう。

当時、子供だった俺様には、パソコンというと“とても高価なもの”だった。
パソコンで出来る事と言えば、
ろくな知識もない人間にとってはほぼ“ゲームで遊ぶこと”のみだった。
もちろん、遊びでプログラムを組んだりワープロに使ったりは出来たのだが、
それは遊びの範囲で、
それで実生活が楽になるかと言えば答えはノーだった。
(少なくとも当時小学生だった俺様にとってはな)
まだまだパソコンよりも“大学ノート”と“電卓”の方が便利な時代である。
運のいい少年は、なんとか親御さんをたぶらかして
20万円台の88、X1、FM-7などを手に入れたもんだが。
(もろちん使用用途のメインはゲーム機としてw)

さて、そんなご時世の中で、値段というハードルを大胆に下げて、
ご家庭への普及を目的としたパソコンが登場した。
それがMSX規格である。

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ちなみに『MSX』の名前の由来であるが、
はっきりとした事は明らかにされていない。
が、大筋の見解としては
1)『松下の「M」』と『ソニーの「S」』を掛け合わせる(X)ハードという意味
2)『MicrosoftSuperX』が正式名称で、その略称
という2つの説が有力となっている。


1983年、マイクロソフト社とアスキー西和彦氏が呼び掛ける形で
各社がその統一規格に乗ってきた。
松下、ソニー、ビクター、東芝、日立、ヤマハ富士通
などが次々とMSXのハードを発表していった。
もしここにパソコンハードメーカー大手のNECとシャープが参入していたら、
その後の歴史は大きく変わっていたかも知れない。

今は新しいゲームハードが登場すると、店の前に列を作るほどに殺到するが、
当時はそういった現象は無かったように思う。
ましてやMSXは電子玩具なのかパソコンなのかよくわからない機械だ。
「MSXとは何か?」が世間一般にわかるようになるまでは
1年ぐらいの期間を要した。

MSX登場から1年後、俺様もMSXとはどんなものかを知るようになった。
近所の文房具屋の店頭にディスプレイされていたこと、
近所の電気屋で実際にプレイさせてもらったこと、
これがMSXを知るきっかけとなっていた。

電気屋と言えばこんなエピソードがある。
通常、一般の電気店はパソコンは扱わない。
だがMSXは流通経路が違っていたので家電製品の中にポツンと陳列されていた。
(のちの3DOも似た状態だったな)
だが普段パソコンを扱わない電機屋の兄ちゃんも素人並の知識しかない。
MSXが他のパソコンと大きく違うのは、
ソフトの供給がディスクやテープだけでなく、ROMでも行なっていた事だ。
俺様はROMは統一規格であり、
ROMで供給されるソフトは全てのハードで動くと思っていた。(^^;
そこでファミコンのソフトを電機屋に持っていって
「このソフトをMSXでやってみたい」と言って試してもらった事があった。
だが結果として起動するどころか、ROMの挿入すらできなかった。(当然だバカ)
電機屋の兄ちゃんも「おかしいね?故障かな?」と首を捻っていた。


このときすでに俺様は「ファミリーコンピューター」と
「PC-6001mkII」を所持していた。
そのため、パソコンとしてのMSXと
ゲーム機としてのMSXがどんなもんなのか…
それを感知する事が出来た。
俺様の印象としてはこうだ。
ゲーム機としての能力はファミリーコンピューター以下、
またパソコンとして6001から乗り換えるほど性能差は無い。
なぜゲーム機としてファミリーコンピュータ以下であると思ったか、
それはグラフィック表示能力にあった。
MSXは発色能力が乏しく、
特にアクションゲームなどでは
自機が単色(1色)で描かれているものがほとんどだった。
同タイトルゲームのファミリーコンピューター版と比べてみても、
その差は歴然だった。
また、6001で登場していたパソコンゲームと比べても
グラフィック面で厳しかった。
まわりの友達の反応も似たようなもので、
同じ学年でもMSXを持っているのは1人しかいなかった。
ファミリーコンピューターユーザーが着々と増える中で、
「なんでMSX?」とよく言われていたものだ。
(そいつは中学の入学祝いかなんかで買ってもらったらしい)


【MSX2登場】
俺様がMSXに対して興味を持ち出したのは、
1985年、MSX2の規格が発表されてからである。
MSX2はビジュアル面で大幅にパワーアップ。
ファミリーコンピューターよりも一歩先を行く雰囲気があった。
発表当初は高かった値段もパナソニックなどを中心に下がり始め、
3万円ほどの値段で入手出来るようになっていた。
また、オリジナルゲームの展開にも力を入れており、
非売品としてMSX2専用の悪魔城ドラキュラが本体とセットになっていたり、
アシュギーネなる“宇宙人の超人ハルクみたいなヤツ”をイメージキャラクターにして
大々的に売り出すといった戦略も記憶に色濃く残っている。

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アシュギーネはMSX全体のキャラクターではなく、
パナソニックが販売したMSX規格のパソコン
「FS-A1」シリーズのイメージキャラクターだ。

富士通南野陽子、88の斎藤由貴、
など確実にライトイメージ路線へ向かう時代背景の中で、

緑色の肌を持つ劇画タッチの怪物
イメージキャラに持ってくるあたり…

(別な意味で)異様な存在感を示していた。
だがそれが売り上げに繋がったかというと…
眉をしかめる人の方が多かったように記憶している(^^;
アシュギーネはパッケージゲームが3本も出ていて、
MSXの顔として育てようとしていた野望が伺える。


この頃になると俺様もPC-8801mkⅡMRを所持しており、
MSXまで買う余裕は無かった。
だが、MSX独得のオリジナルゲーム群は常に気になる存在であった。


【俺様、MSXユーザーとなる】
1988年、MSX2+の規格が発表された。
『+』というだけあって、それほど大きな違いのない規格であったが、
『2+』になってMSXシリーズにも本格的なフロッピー時代がやってきた。
まさにMSXの絶頂期と言っていいだろう。
俺様もこの時期にパナソニック(松下)のMSX2+規格パソコン
「FS-A1WX」を購入した。

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88で発売されているタイトルは88版を優先して買ったのだが、
それを差し引いてもMSXには魅力的なタイトルが沢山あった。
その中の代表格がコナミのMSXゲームだった。
コナミは精力的にMSXのオリジナルタイトルを発表していった。
パロディウス」「スペースマンボウ」「SDスナッチャー
「ソリッドスネーク」「魔城伝説」…
など、いまだにMSXでしか楽しめない名作は多い。
また、ファミコンなどに登場している「悪魔城ドラキュラ」、
キングコング2」、「火の鳥」、
などのタイトルも、名前は同じだがまったく違うゲームとして仕上げられており、
コナミがMSXにどれだけ力を入れていたかが伺える。
また、MSXを語る上で忘れてはならないのが
コンパイルの「ディスクステーション」である。
これはディスクマガジン形式でゲームや読み物の入ったFDを
定期的に販売するという画期的なソフトで、
MSXを長い間支え続けていた。
ディスクマガジンと言えば、
「ピンクソックス」というアダルト系のシリーズソフトも伝説的な存在となっている。

そうそう、MSXにフロッピー時代がやってきて不便になった事もある。
ディスクの入れ替えがとても面倒だったのである。
MSXは低価格に設定する必要があるので、
普及版の機種はほとんどフロッピードライブを1つしか積んでいなかった。
そのため、フロッピー枚数の多いゲームは頻繁にディスクの交換を求められた。
それが煩わしかったので、
ROM版と両方発売されるゲームはROM版の方を好んで買ったものである。
また、これもMSXの価格をおさえるためだと思うが、
FDの駆動部にゴムベルト式を採用しているものがほとんどだった。
それが十数年後、MSXファンの首を絞める事になった。
ゴムだけに、年数の経過とともに溶け切れてしまうのである。
ファミコンディスクシステムも同じ)
俺様のMSX2+もそれでオシャカになり、
現在は動かす術のないディスクソフトだけが押し入れに眠っている。


【MSXの落日】
1990年。
この時期はレトロパソコンにとってのターニングポイントとなった。
そのシリーズが生き残れるかどうかは、
「16ビット時代への移行が成功するかどうか」にかかっていた。
結果はご存知の通り、
8ビット機のシリーズが16ビット機として生まれ変わる作戦はことごとく失敗した。
PC88シリーズもVAという16ビットマシンを発売したが、惨敗。
VAと同じ道を辿ったのが
同じく16ビットマシン「MSXturboR」規格であった。
もはやこの頃にはスーパーファミコンやPCエンジンが登場しており、
ゲームユーザーとパソコンユーザーの住み分けが始まっていた。
微妙に値段が高く、専用ソフトも数本しかない“turboR”を
わざわざ買うユーザーは少なかった。
(販売台数は4万台ほどと言われている)

これまでのMSXシリーズのソフト群は魅力的だったが、
この頃「MSX2+」は値崩れが始まっていたのでそっちを購入する方がお得感があった。
(もちろん性能的には“最強のMSX”である事は言わずもがな…である)
そして1992年にパナソニックから発売された「FSA1GT」を最後に
MSXはレトロパソコンとしての歴史に幕を下ろす事になる。

その後、公式エミュレータの発表などで息を吹き返す事になるのだが、
それはまた別の話。


【MSXこぼれ話】

■ハードにポーズ機能■
俺様が所持していた「FS-A1WX」中心の話題でこぼれ話を残そう。
どの機種にもあった機能なのか疑問だが「ハードポーズ機能」は非常に便利だった。
ファミリーコンピューターなどに代表されるゲームのポーズ(一時停止)は、
通常ソフト側にプログラムとして実装されている。
だからソフト側が入れなければポーズはかからない。
(タイトル画面などでポーズがかからないのはそういう事だ)
だが、MSXはハードにポーズ機能がついているので、
どんなタイミングでも動きを止める事が出来る。
シューティングやアクションゲームの多いMSXでは、
この機能はとてもありがたいのだ。
また、ハードに“連射調整バー”がついているものもあり、
MSXらしさを醸し出していた。

■SCC音源■
コナミがMSX用に開発した音源チップである。
グラディウス2以降のコナミソフトに搭載されていた。
このチップが奏でるコナミサウンドにシビれてしまった御仁も
多いのではないだろうか?

■10倍カートリッジ■
コナミゲームを10倍楽しむカートリッジ」と
コナミの新10倍カートリッジ」の2本がリリース。
MSXにはROMを挿し込むスロットが2つ付いているものが多かった。
スロット1に指定のコナミソフトを挿し、スロット2に本ソフトを挿入する。
すると、スロット1のゲームが無敵になったり、自機が増えたり…といった、
いわゆるゲーム改良が出来るソフトであった。
ROMスロットが2つあるMSXならではの遊びだね。

■消えた俺様のシステムディスク…■
MSX2+を買って1年ほどたったある日、
購入したフロッピーディスクをフォーマットしようとした。
そのためにはまずシステムディスクを起動する必要がある。
だが、ディスクを入れ替え忘れた俺様は、
システムディスクをフォーマットしてしまった!(--;
システムディスクのバックアップなどとっておらず、
それ以来、MSXは100%ゲーム機として活動する事になるのだった(^^;;;


以上、MSXについて思い出す限りをツラツラと書かせて頂いた。
MSXとはいったい何だったのか?
パソコンなのか?
ゲーム機なのか?
玩具なのか?
今ならハッキリ言える。
MSXとは・・
MSXの事である!!