プロレス回顧録(12)「1990年4月13日 東京ドーム スタン・ハンセンvsハルク・ホーガン」

プロレス界に多大な影響を与え、
発展に貢献した名レスラー、
ハルク・ホーガン2025年7月24日に帰らぬ人となった。
その報を受け、急遽このブログを書いている。
ハルク・ホーガンのベストバウトと言えば、
2002年のWWE復帰後にレッスルマニア18で実現した
ザ・ロックとのシングルマッチだろう。
当時ホーガンはすでに48歳だったが、
試合内容以前にシチュエーションが完璧に出来上がっており、
過去と現在が交錯するプロレス大河ドラマの到達点の一つだったように思う。
だが、この回顧録では基本的にライブ観戦したときの試合を記事にしている。
俺様がライブ観戦でハルク・ホーガンの試合を観た記憶を思い起こしてみた。
ホーガンは、1980年から1985年にかけて新日本プロレスに来日。
その頃にライブ観戦しているはずだが、俺様が子供過ぎて記憶はおぼろげだ。
「イチバーン!」という掛け声、必殺技のアックスボンバー、
コミックボンボンの漫画「やっぱ!アホーガンよ」、
週刊少年サンデーの「プロレススーパースター列伝」などは印象深かったが、
試合内容となるとIWGP決勝リーグ戦、
猪木を失神させて優勝した「猪木舌出し事件」ぐらいしか覚えてない。
1985年以降、新日本プロレス
ホーガンの所属するWWF(現WWE)との業務提携が解消されたので、
しばらくホーガンをライブ観戦できるチャンスが失われる。
WWFの日本公演も無かったし。
ハルク・ホーガンというレスラーが、
1人の強豪外国人からアメリカのスーパースターに駆け上がるのは
この頃からだったように思う。
フィニッシュホールドをレッグドロップにしてのホーガンだ。
数々のメインイベントを務め上げ、
試合内容だけでなく客の盛り上げ方も超一流になっていく。
そして1990年、WWFは日本進出を計画。
WWF単独での興行では不安があったビンス・マクマホンと、
黒船来航に危機感を持った全日本プロレスジャイアント馬場の思惑が
合同興行へと結実。
またジャイアント馬場は、新日本プロレスへも参加要請。
メジャー3団体が集まる「日米レスリングサミット」が実現した。
1990年4月13日。

 

第1試合【6人タッグマッチ20分1本勝負】
ダグ・ファーナス&ダニー・クロファット&ジョー・マレンコ
vs 川田利明サムソン冬木&北原辰巳

東京ドームという大舞台でカンナムエクスプレスの存在は渋かった。


第2試合【シングルマッチ20分1本勝負】
獣神サンダー・ライガー vs 野上彰

あんまり試合内容覚えてない。

 

第3試合【タッグマッチ20分1本勝負】
ジミー・スヌーカ&ティト・サンタナ vs 渕正信&小橋健太

スヌーカのバックハンド・チョップ、カッコよかった~♪
小橋が相手をしていた事に驚く。

 

第4試合【シングルマッチ20分1本勝負】
タイガーマスク vs ブレット・ハート

つまり三沢vsブレットという凄いカードなわけだけど、
これもあんまり覚えてない。

 

第5試合【シングルマッチ20分1本勝負】
ザ・グレート・カブキ vs グレッグ・バレンタイン

入場が一番の見せ場w

 

第6試合【シングルマッチ20分1本勝負】
ジェイク・ロバーツ vs ビッグ・ボスマン

ロバーツ、ヘビ持ってきてたっけ?

 

第7試合【IWGPタッグ選手権試合60分1本勝負】
マサ斎藤橋本真也 vs 長州力蝶野正洋

悪い試合じゃないけど客が見たいものと違い過ぎた。

 

第8試合【タッグマッチ60分1本勝負】
ジャンボ鶴田キング・ハク vs リック・マーテル&カート・ヘニング

本来は五輪コンビで出る予定だったけど、
谷津が欠場して急遽、鶴田がハクと組んだ。
ハクももとはと言えば全日本外人。

 

第9試合【シングルマッチ60分1本勝負】
天龍源一郎 vs ランディ・サベージ

歴史に残る名勝負。
ジャパニーズプロレスとアメリカンプロレスがぶつかったときの化学変化!
この試合で天龍の株がさらに上がった。

 

第10試合【WWF世界ヘビー級選手権試合60分1本勝負】
アルティメット・ウォリアー vs テッド・デビアス

客がこの試合に飽きてデビアスコールとウォリアーコールで遊んでいた。

 

第11試合【タッグマッチ60分1本勝負】
ジャイアント馬場アンドレ・ザ・ジャイアント vs デモリッション

夢の大巨人コンビが悪漢を倒す勧善懲悪。
メインの前の露払い。

 

そして第12試合目となるメインイベント。
当初発表されていたのはハルク・ホーガンvsテリー・ゴディであった。
テリー・ゴディはスティーブ・ウィリアムとの殺人魚雷コンビで
世界最強タッグを制覇するなど勢いのある選手だったが、
三冠王座戴冠はまだ果たしておらず、年齢もまだ29歳。
不動のトップスターとなっており、
久しぶりの日本復帰となるホーガンの相手としては役不足感が強かった。
だが急転直下。
直前にWWF世界ヘビー級王座を失ったホーガンの試合が
ノンタイトル戦となった事を理由に、
対戦相手がゴディからハンセンに変更になった!
スタン・ハンセンは全日本プロレスのトップ外国人。
いや、もしかしたら当時の全ての来日外国人レスラーの頂点。
それがアメリカで成功してトップスターとなったホーガンとの対決は
まさに外国人レスラー頂上対決。
俺様はあわててチケットを購入し、東京ドームへと向かったのだった。

まずドームに鳴り響くのは「サンライズ」。
スタン・ハンセンがいつものようにブルロープを振り回しながら入場。
当時、ハンセン40歳。レスラーとしては油の乗り切っている年齢だ。
続いて鳴り響くは「REAL AMERICAN」!!
新日本時代のホーガンの曲とは違うが、
アメリカで生まれ変わったホーガンの象徴的な曲が「REAL AMERICAN」なのだ。
イントロ聴いただけで爆アガる名曲。
全てのプロレスラーの入場テーマの中で最高傑作だと俺様は思っている。
ホーガン当時34歳。
いよいよコング。
色白のハンセンとこげ茶色に日焼けしたホーガン。
ジャパニーズスタイルvsアメリカンスタイル。
対極の存在がぶつかる魅力!


7分過ぎまで探り合い、小突き合い。
そしてホーガンがハンセンを鉄柱に叩きつけるとハンセン場外でダウン。
それを追って執拗にナックルを額に叩き込む。
ハンセンの額から流血。
中盤、ホーガンがコブラツイストを見せるが不格好。
場外に逃げるハンセン。
そのハンセンをホーガンがテーブルの上に叩きつける。
ずっとやられてたハンセンの反撃はビッグブーツからのアメフトタックル。
場外でハンセンがホーガンをパイプイスで殴打。
ホーガンも額から流血。
ホーガンがハンセンの首をブルロープで絞めようとするが、
すぐに奪い返されて、背中をブルロープでしばかれる。
リング上でハンセンがラリアット予告!


ハンセンのラリアットをかわしたホーガンがアックスボンバーで返す!

だが直後のギロチンドロップはかわされる!
突進してくるハンセンをビッグブーツで止めると、
そこへラリアットで追撃しピンフォール勝利!


テレビの実況では決め技はアックスボンバーという事になっていたが、
肘を完全に伸ばしているのでこれはラリアットだ。
かつて若き日のホーガンは新日本で
フィニッシュムーブとしてアックスボンバーを開発した際、
ハンセンに(ラリアットと似た技を)使ってよいか許可を求め、
ハンセンは快くOKを出している。
そしてWWFでのホーガンはフィニッシュムーブを変えたわけだが、
この試合ではアックスボンバーを決め、
そしてアメリカでのフィニッシュムーブであるギロチンドロップをかわされ、
最後はハンセンのフィニッシュであるラリアットで決める。
つまり日本仕様の物語を用意してリングに上がった。
そして最後はアメリカ仕様のビルドアップパフォーマンスで
アメリカンスタイルに戻る。


一夜限りの夢として完結。
試合としてはハンセンが振り回されて終わったのが気の毒であったが、
これは全日本プロレスではなく、WWF主体の興行だったのだろう。

 

それにしても直前でカードから外された上に、
試合すら組まれなかったテリー・ゴディは一番のババを引いてしまった選手だ。

また、カード内容を振り返ると、
ほとんどの試合は全日本プロレスvsWWFの団体対抗試合になっており、
2試合マッチングされた新日本の試合は、
いずれも新日本所属選手だけで組まれた蚊帳の外のようなカードであった。
正直、新日本の参戦は蛇足だったように思う。
この参戦で業務提携相手であるWCWの心象を悪くしてしまった新日本。
ジャイアント馬場は気の毒に思ったのか、
新日本の東京ドーム興行に選手を貸し出し、
「日米レスリングサミット」以上のドリーム興行を実現させている。

 

そして再びアメリカで活躍を続けたハルク・ホーガン
1993年5月。まだWWF在籍中であり、WWF世界王者でありながら、
新日本の福岡ドーム大会に参戦しザ・グレート・ムタシングルマッチを実現。
翌年にWCWと契約するまでは新日本で何戦か試合を行ったのだった。

日本とアメリカでともに愛されたハルク・ホーガン
永遠にプロレスファンの心の中であのハルクアップを魅せてくれる事だろう。