プロレス回顧録(10)「’94 BATTLE FIELD IN 闘強導夢 天龍源一郎vsアントニオ猪木」

2022年10月1日7時40分。
稀代の名プロレスラー、アントニオ猪木さんが79歳で亡くなった。
近年、猪木さんは「心アミロイドーシス」という難病と戦っており、
YouTubeではすっかりやせ衰えた姿で最期までメッセージを伝えてくれていた。

俺様にとってアントニオ猪木はプロレスそのものだったと言ってもいい。
俺様は3歳の頃から親戚のおじさんに連れられてプロレス会場へ行っている。
新日本プロレスだ。
それからワールドプロレスリングは毎週観ていたが、
プロレスをプロレスとして楽しめるようになったのは中学ぐらいからだ。
週刊ゴングを毎週買うようになったし、
自分の金でチケットを買って都内開催の興行を観戦するようになった。
そこからは様々な選手が好きになったし、全日本やUWFも観るようになったが、
アントニオ猪木のプロレスが原点であり、
アントニオ猪木ストロングスタイルが俺様の中のプロレス原風景だった。
だがしかし、その頃すでに猪木は第一線から引いたセミリタイア状態となっていた。
つまり俺様の記憶に猪木の全盛期の試合は映像の中でしかない。
そんな俺様が鮮明に覚えている生観戦の記憶は、
1990年2月10日東京ドームのメインエベント。
猪木は坂口征二と組んで、新日本の未来を担う若手、橋本&蝶野と対戦した。
前年、すでに政治家となっていた猪木は約8ヶ月ぶりのリング復帰。
その試合から猪木がシリーズに本格復帰するわけではなく、
団体のエースとは違うVIPレスラーといった感じで、
大きな興行の休憩時間前に登場しては
マイクパフォーマンスで沸かせるカリスマという側面で
プロレス興行を後押ししていた。

 

ジャンボ鶴田とともに全日本プロレスの柱の一人だった天龍源一郎
1990年に全日本を離脱しSWSという団体に参加。
SWSは2年半で崩壊するが、天龍は新たにWARという団体を旗揚げ。
団体存続の活路として新日本プロレスとの対抗戦を実現させた。
天龍はシングルマッチ越中詩郎長州力木村健悟橋本真也
蝶野正洋馳浩藤波辰爾を撃破。
まさにミスター・プロレスの狂い咲きとなる活躍を魅せる。
そしていよいよ新日本プロレスの象徴である
アントニオ猪木との対戦の機運が高まる。
全日本育ちの天龍とストロングスタイルを作り上げた猪木の対峙。
猪木のコンディション的にもギリギリ間に合った世紀の一戦であった。
時は1994年1月4日、新日本東京ドーム大会のメインエベントである。

 

まず天龍から入場。龍のガウンに身を包んだ天龍がまっすぐにリングへと歩を進める。
マットに上がるとコーナーに体を寄せてフッと息を一つ吐く。
続いて猪木が入場。赤いガウンを着た猪木が小走りに花道を進む。
リングに上がってもどちらも目を合わせない。
とんでもない緊張感
ゴング前にここまで緊張感のある試合が近年あるだろうか?
ゴングが鳴っても睨み合ったまま動かない二人。


天龍が仕掛けようとしても間合いを外す猪木。


まるで鍔迫り合い。
このときの猪木の鋭い眼光がめちゃめちゃカッコいいんだ。


そして、猪木の弓引きナックルパートが的確に決まる。


怯んだ天龍へ続けて延髄斬り!


そこからチョークスリーパーへ。
天龍は大の字のまましばらく立ち上がれない。
カウントやK.O.裁定はされない。
タイガー服部レフェリーが
「これはプロレスの試合です、格闘技ルールではありません。」とマイクで説明。
長州がリングサイドで「カウントしろ!」と服部に詰め寄る。
なかなか目を覚まさない天龍に場内騒然。
服部や長州が天龍の頬を張ってなんとか蘇生させようとする。
(今の時代だったらゴング鳴らしてると思う)
俺様もこのとき会場で「服部何やってんだよ!ゴング鳴らせよ!」と叫んでいた。
なんとか意識朦朧のまま立ち上がった天龍は、
さらに攻撃を加えてくる猪木に相撲の張り手を連打。
こういうときは体に染み付いた技が出るんだねえ。
そこから猪木の卍固め、天龍の浴びせ蹴り、猪木の腕ひしぎ十字固め。
猪木はロープブレイクした後も腕ひしぎをさらに絞めて折りにかかる。
のちにキラー猪木と呼ばれる片鱗だ。
そして再び猪木はチョークスリーパーへ。
猪木の凄味。そして天龍の受けの美学。
そして唐突に天龍のアバンラッシュホールドからパワーボムで決着。
あまりに唐突過ぎて、3カウント取られた直後に天龍へと飛びかかる猪木。
新日本の攻めのスタイルと全日本の受けのスタイル。
その頂点に立った者同士の難解なパズルであった。
攻防や試合の完成度という点で見れば名勝負とは思えない人も多いだろう。
だが、俺様はこの試合はこの二人にしか出来ない“間”の戦いだったと思う。
いや、もしかしたら天龍サイドからすれば
納得の行く試合では無かったのかも知れない。
猪木が構築した空間が支配した試合だった。
天龍は試合後に「猪木さん、もう一回やりましょう!」とマイクで叫ぶ。
だが猪木は小さな声で「わかった」と返事しただけで、
マイクを握って最後は「1、2、3、ダー!」の大合唱。


負けた猪木のテーマ曲で興行は幕を下ろされる。
プロレスは試合に勝利した人間が勝ちではない。印象に残った方が勝ちなのだ。
そういう意味でこの試合はアントニオ猪木の完勝であった。

この年の5月に行われた福岡ドームでのザ・グレート・ムタ戦から、
アントニオ猪木が引退へ向けた「ファイナル・カウントダウン」が始まる。
終戦は1998年にトーナメントで行われ、猪木は引退となった。


こんなときよく
「また一つ、プロレス界は大きなものを失った」
などという言葉を使う。
だが俺様は思う。我々はアントニオ猪木を失ってはいない。
猪木さんの残した試合は今も記憶に残り、語られ、アーカイブなどで視聴され続ける。
プロレスラーは、いなくなってもプロレスラーの価値を失わないのだ。
我々が失うときがあるとすれば、全ての人々が忘れ去るときだ。
それまで燃える闘魂は我々の心を熱し続ける。

 

猪木さん、同じ時代に存在してくれて、ありがとうございました。