プロレス回顧録(04)「中西 学vsTOA」

今年の2月22日。中西 学が引退する。
そんな中西のターニングポイントとなった試合を再観戦してみた。
2003年6月29日。FEG主催「K-1 BEAST II」で
K-1ルールに初挑戦した中西 学vsTOA戦である。
当時は新日本暗黒時代と言われ、格闘技ブームにおされてプロレス人気は低迷。
知名度もあり、アマレスの実績もある中西や永田は、
格闘技界の良い客寄せパンダとして利用されていた。
そもそも中西学にK-1ルールで試合をさせるってメチャクチャである。
中西はアマレス出身なので打撃は素人。
プロレスでも格闘技系の打撃は使っていない。
引退会見で「アマレスもプロレスもものになるまで10年かかった」
と言っていたように、
決して器用なレスラーでは無い中西。
付け焼き刃で少し打撃を練習したからといってどうにかなるものでもない。

そしてこの試合には大きな落とし穴があった。
対戦相手となるTOAもK-1初挑戦。
マオリ族最強の男”という触れ込みだったが、
格闘技履歴も
オセアニア相撲チャンピオン」
「世界アマチュア相撲チャンピオンシップ準優勝」
という打撃素人
「素人同士の試合なら勝てるかも?」
という後ろ向きな希望をプロレスファンは持っていた(^^;

さて試合。
ニュージーランド出身のTOAはたくさん同郷の人を連れてきてハカを披露。

f:id:g16:20200214230202p:plain

それを厳しい目つきで見つめる中西。
セコンドにはエンセン井上ジョシュ・バーネット

f:id:g16:20200214230316p:plain

最前列席では蝶野、永田、藤波が試合を見守っている。

f:id:g16:20200214230339p:plain

ゴングが鳴ると中西はローキックで攻めた。
力任せに叩くような荒々しいローキック。
パンチの打ち合いになると中西のパンチは効果的に当たらない。
TOAのパンチが何発か効いたのが入ったところで
ラリアット気味に腕が中西の顔に当たってダウン。

f:id:g16:20200214230449p:plain

そこからはTOAのパンチをいいように浴びる。
ほぼガードが出来ていない。
そして1ラウンド1分38秒に
TOAの大振りなパンチが側頭部にあたり崩れ落ちた。

f:id:g16:20200214230516p:plain


中西はこの試合の敗北によって大きなものを失った。
相手が打撃素人だった事でその傷は余計に大きくなったように思う。
(まだK-1のトップファイターにボコられた方が顔も立ったろう)
長州はこのあとの中西に対して
「中西はもう終わったよ」と痛烈なコメントをしていた。
人の良い中西がそれまで築き上げたキャラクターを、
本人とは別の意思で賭けさせられた試合と言ってもいい。
この敗戦でも腐らず、新日本に在籍し続け、
16年以上もプロレスを続けた中西に心からお疲れ様と言いたい。

さて、そんな中西の対戦相手となったTOA選手はその後どうなったのだろう?
K-1の公式記録を見ると、
同じ年の12月31日に開催された「K-1PREMIUM2003Dynamite!!」で
フランシスコ・フィリォと3R戦って判定負け。
以後、試合の記録は無い。
この2試合だけではTOAのポテンシャルは測れないが、
あのフィリォ相手に判定まで持ち込んだのだから、
そこそこ強かったのではないだろうか?

余談だけど、いま新日本で成長著しいトーア・ヘナーレを見ると
TOAを思い出すのは俺様だけだろうか?