やっぱりセガが好き第102回「マジンサーガ」


マジンサーガ
セガ
1993年2月26日/アクション/6800円

 


マジン・サーガ」とは、
1990年から1992年まで「週刊ヤングジャンプ」に連載されていた永井豪漫画である。
本作は「マジンガーZ」のリメイクで、
ロボットの戦いを描いていたマジンガーZから、
主人公が特殊な甲冑を着て超能力で戦う設定に変更している。
そんな「マジン・サーガ」をゲーム化したのが本作である。

 


1999年。
ゴットカイザーヘル率いるバイオビースト軍団は地球を急襲し、
わずか数ヶ月で人類を制圧した。
地上は彼等が使用した兵器によって破壊、
汚染されて生態系が狂いその様相を一変させた。
生き残った人々は地下に逃げ、鉄仮面軍団の攻撃に怯えながら生き続けた・・。
だが、その恐怖と絶望の中で、
兜博士はヘルの目を逃れて「マジンガーZ」を完成させたのだった。

 


タイトルメニューからオプション画面に入ると、
難易度(EASY、NORMAL、HARD)、プレイヤー人数(最大5)、
コンティニュー回数(最大5)を変更できる。
サウンドテストも可能。
今回はEASYに設定して進めてみる。


ROUND-1 VS GARADA-K7 IN TOKYO. 1999 JUL.


ゲームはベルトスクロールアクションになっている。
変身した状態のマジンガーZを操作。
マジンガーZは最初から剣を持っている。
方向ボタンで8方向に移動。
左か右に同じ方向を2回押すとダッシュする。
Bボタンで剣を振る。距離により「投げ」や「キック」に変化。
また、連打すると百烈アタックとなる。
Aボタンだと「必殺十字斬り」が発動するが、使うたびにライフが少し減る。
ライフ制でダメージを受けるたびにライフが減る。
ライフが無くなると残機を消費する。

 


画面に対してキャラクターが小さく、
一般的なベルトスクロールアクションよりもチマチマしているのだが、
この巨大な足味が踏みつけてくるシーンが
唯一のダイナミックな演出シーンになっている。

 


アイテムは落ちているものを拾うとすぐに効果がでる。
と言っても、ライフ回復、一定時間無敵、1UPといった一般的なものしか存在しない。

 




巨大なGARADA-K7の攻撃をやり過ごすと、
今度はマジンガーZも巨大化して戦う。
(画面に対してキャラは格闘ゲーム並にデカくなるが奥行きは無くなる)
多関節のアニメーションになっており、
気持ちよくグリングリン動く。
このときは操作も変わる。
Aボタンでガード。
Bボタンで剣振り。
上方向を押しながらだと「振り上げ」、後ろ方向を押しながらだと「横斬り」、
下方向を押しながらだと「しゃがみ剣振り」、
斜め後ろ方向を押しながらだと「しゃがみ突き」に変化。
Cボタンはジャンプで、ジャンプしながらの組み合わせでも技が変化する。
いずれも剣の振り方が変わるのみで、必殺技のようなものは存在しない。
源平討魔伝」のBIGモードのような雰囲気。

 

ROUND-2 VS SLUG HEAD IN INDIA

 

ROUND-3 VS DINO BEAST IN EUROPE

 

ROUND-4 VS BUSTER CLAW  IN NEW YORK

 

ROUND-5 VS NEGATIVE MAZINGER IN EGYPT




このゲームはROUND7まであるのだが、
なんとEASYモードだとROUND5で打ち切りになるらしい。
ほとんどの漫画が未完に終わる永井豪先生への皮肉だろうか?
俺様はこの「難易度でゲーム体験に差をつけるゲーム構成」が大嫌い。
「ゲームがヘタな奴は途中までしか遊ぶ資格が無い」
とでも言っているような傲慢さを感じるからだ。
100歩譲ってゲームスタート前に「この設定は最後まで遊べません」と
ユーザーに確実に伝えるべきだ。
(マニュアルにすら書いてない)

NORMALで再プレイする気は起きないので今回はここまで。
気が向いたらいつかエンディングまでプレイするかも。

 

ゲームとしては巨大化してからのバトルシーンがメイン。
ここが一番作り込まれている気もする。
おそらくこれだけじゃゲームにならないから
ベルトスクロールシーンを入れたのだろう。
オリジナルの「マジンガーZ」はロケットパンチとかブレストファイヤーとか、
多彩な攻撃が魅力の一つだった。
でもこのゲームのマジンガーZは剣撃のみでその魅力がスポイルされている。
(漫画の「マジン・サーガ」は色々な能力があったはず・・)


正直言って当時「なんでマジン・サーガをゲーム化?」と思った。
すでにストーリーも完結しないまま連載終了している漫画であり、
人気自体もそれほどあったわけじゃない。
メガドライブへの注目度に貢献する題材には思えない。
ダイナミックプロ側から良い条件での売り込みでもあったのだろうか?

このゲームを開発したのは
ワンダープロジェクトJ」シリーズで一躍その名を知らしめたギブロ
ギブロはその後、
1997年に「七ツ風の島物語」をセガサターンで出した後に倒産している。
(「マジンサーガ」の頃は「アルマニック」という社名だったのかも)