ネオジオは100メガショックの夢を見るか?(98)

さて、これまでネオジオで発売されたタイトルを時系列に97本まで紹介してきた。
ひとまずここまでを一区切りとしたいと思う。
というのも、ここから以降のネオジオゲームは、
俺様自身が未プレイのものや、
レビューできるほど遊んでいないものが増えてくるので、
時系列で漏らさず紹介していく事が困難なためだ。
そこで残りの歴史をダイジェストでザッと追っていこうと思う。

 

2D格闘ゲーム市場では先駆者のカプコンをも凌ぐ勢いを見せたSNK。
1998年9月23日に発売されたザ・キング・オブ・ファイターズ'98」でも
その勢いは健在だった。
だが、ネオジオを普及させる目的だったネオジオCD、
3D時代に乗り遅れまいとしたハイパーネオジオ64と、
ハード戦略はいずれも思い通りには行かなかった。
だがSNKはさらなる攻めの一手を持っていた。
1998年10月28日に
「I'm not BOY. 誰だってBOYを捨てるときがくる」
のキャッチコピーで
ネオジオポケットという携帯ゲーム機を発売してきたのだ。
BOYを捨てるのBOYとは「ゲームボーイ」の事を指すのは明らかで、
すでにスペック的に苦しくなってきたゲームボーイを押し退けて、
携帯ゲーム市場を取りに行ったのである。

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ところがこのネオジオポケットも順調な船出とはいかなかった。
ネオジオポケット発売の1周間前にゲームボーイカラーが発売。
ところがネオジオポケットモノクロ8階調
これで本当に勝負できるのか?と最初から不安を掻き立てた。
しかもSNKは上位機種のネオジオポケットカラーを年内に発売する事を
ネオジオポケット発売前に発表。(実際にリリースされたのは翌年3月)
そんな状況で売れるわけない(^^;
ネオジオポケット買う気満々だった俺様でさえ、カラー発売まで待ったぐらいだ。

安く売るために読み込み時間に耐えられないハードになった「ネオジオCD」、
2D格闘ゲーム最強ハードなのに
3Dゲームしか出さなかった「ハイパーネオジオ64」、
そしてこのネオジオポケット
SNKってなんでこんなに
ハードの売り方下手だったん?(^^;;

 

翌年、ネオジオでリリースされたタイトルは、
1999年1月28日「幕末浪漫第二幕 月華の剣士月に咲く華、散りゆく花」(SNK)
1999年5月27日「メタルスラッグX」(SNK)
1999年9月23日「ザ・キング・オブ・ファイターズ'99」(SNK)
の3本。
ハイパーネオジオ64、ネオジオポケットへと開発リソースを割いた事と、
前年まででネオジオからサードパーティが急速に撤退したためと思われる。
なお、ハイパーネオジオ64向けには
5月21日にリリースされた「武力 ~BURIKI ONE~」が最後となっている。
ちなみにこの年にはアーケードゲーム専門誌「ゲーメスト」が廃刊
ゲームセンターがビデオゲームの花形だった時代の終焉を感じさせる年であった。

 

翌年の2000年もリリースされたのは3本。
2000年2月25日「餓狼 MARK OF THE WOLVES」(SNK)
2000年6月1日「メタルスラッグ3」(SNK)
2000年12月21日「ザ・キング・オブ・ファイターズ2000」(SNK)
餓狼伝説は「餓狼 MARK OF THE WOLVES」でシリーズに幕を閉じた。
この年、ネオジオCD、ハイパーネオジオ64、ネオジオポケット
そしてアミューズメント施設「ネオジオワールド」の大赤字など、
度重なる失策によって既にバベルの塔は崩壊していた。
パチスロメーカーであるアルゼから資本注入を受けて子会社となるが、
それでも立ち直るには傷が深すぎた。

 

翌年にネオジオでリリースされたのは
2001年10月25日「戦国伝承2001」の一本のみ。
このゲームが発売された5日後、
2001年10月30日、SNKは経営破綻により倒産となる。
負債総額380億円。国内ゲームメーカーの倒産劇としては最大級と言われている。

 

ネオジオポケットは倒産前の2001年9月13日に
SNK VS. CAPCOM カードファイターズ2 EXPAND EDITION」(カプコン/SNK)
が最後のゲームソフトとして発売されている。
それまでに発売されたタイトルは計82本。
振り返ってみると、サードパーティからビッグタイトルが出るわけでもなく、
SNKがこれまで得意として来なかった
デフォルメチックなゲームが量産されるマイノリティなゲーム機だった。

 

SNKの残した権利は競売にかけられ、プレイモア社が落札
2002年以降もネオジオへのタイトルリリースは続き、
2002年3月14日「ザ・キング・オブ・ファイターズ2001」
2002年6月13日「メタルスラッグ4」
2002年9月26日「レイジ・オブ・ザ・ドラゴンズ」
2003年5月29日「新・豪血寺一族 闘婚 -Matrimelee-」
2003年11月13日「SNK VS. CAPCOM SVC CHAOS
2003年12月11日「サムライスピリッツ零」
2004年2月19日「メタルスラッグ5」
2004年3月11日「ザ・キング・オブ・ファイターズ2003」
2004年7月15日「サムライスピリッツスペシャル」
といったものがリリースされている。
プレイモア社はその後社名を「SNKプレイモア」「SNK」と変えている。
倒産したSNKとの法的関係は無い。

 

格闘ゲームブームの初期から14年もの間、
“家庭で遊べるアーケードゲーム”という環境を提供し続けたネオジオ
そしてそれらのゲームで使われるROM容量の増加とともに夢は膨らみ続けていった。
果たしてネオジオは100メガショックという夢を見る事が出来たのか?
その答えはあの時代にネオジオで熱意を燃やした
ゲーマー一人一人の胸の中にあるのかも知れない‥。

 -未完-

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~編集後記~

ネオジオタイトルを時系列で紹介していく
ネオジオは100メガショックの夢を見るか?」だったが、
これはもともと「ネオジオ番外地」という名前で
ホームページに載せていたものを大幅加筆して掲載したものだ。
コロナ禍でイベントも行われず、チョイ呑みに行く機会も減少。
記事にする題材はゲームレビューに偏りがちな昨今だが、
ゲームをプレイする時間が無いときの穴埋めとして
過去記事の再編集を思い立ったのが今年の始め。
ところがいざ過去記事を読み直してみると、
加筆というより“書き直し”レベルになってしまい、
穴埋めのつもりがとても時間のかかる作業になってしまった(^^;
そして連載していくうちに
「これは時系列に読み進めた方がネオジオの歴史が明確になって面白いのでは?」
と思うようになり、あえて他の記事をほとんど挟まずに、
集中連載という形でここまで進めてきたのである。

これ以降、まだ紹介できるソフトはあるので連載は続くが、
時系列ではなく、まだレビューしていないタイトルを順不同で
「更新できるときにする」スタイルに切り替えようと思う。