同人活動記

中学生の頃。
俺様はPC-8801mkIIMRというパソコンを購入したばかりで、それに熱中していた。

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同じく88を持っている友人が俺様の家に見知らぬゲームを持ってきた。
それが同人ソフトとの初めての出会いであった。
彼が持ってきたのは、インベーダーのようなシューティングゲームで、
オチンチンの形をした砲台が白い弾を発射し、
宙を舞っている◎に棒線を引いたマークに当てるという内容だった。
(クリアしても脱衣グラフィックが出るわけでもない超硬派なゲームだったw)
「なんなんだ、このくっだらないゲームはwww」
俺様は衝撃を受けた。
今まで遊んできた市販ゲームにはこういうアプローチのゲームは無かったし、
ベーマガなどに掲載されている投稿ゲームにももちろん存在しないタイプだった。
彼が言うには、これは同人ソフトというもので、アマチュアが作ったプログラム。
即売会などに行くと買えるんだよ・・という事だった。

 

俺様はさっそく即売会というのを調べてみた。
どうやら冬と夏にコミックマーケットというものがあり、
同人ソフトだけでなく、同人誌など様々なアマチュア活動が集まるイベントとのこと。
それ以外に2ヵ月に1回ぐらいのペースで
「パソケット」という同人ソフトのみの即売会もあるらしい。
俺様はそのパソケットに何回か客として行ってみた。
入場料は500円ぐらいだったと記憶している。
入場券のかわりにパンフレットを渡される。

まず以下の資料を見て欲しい。

【資料】1989年11月のパソケットに参加したサークルが取り扱った機種一覧
PC88・・・・47サークル
PC98・・・・28サークル
X68000・・・13サークル
MSX2・・・・9サークル
FM・・・・・6サークル
X1・・・・・3サークル

こちらを見てわかるように、
1990年前後の同人ソフトの主流は88が圧倒的だった。
(ここで言う88とはSR以降とイコールだろう)
8ビットパソコン戦争でシェアを獲得した88が
最も勢いのあった時代と言えるだろう。
二番手につけているのが98で、
時代の流れとともにこの立場が逆転していく事になる。

値段は100円から1000円ぐらいの設定。
強気なサークルなどちゃんとパッケージなども制作して
1500円とか2000円とかでも売っていた。
市販のフロッピーディスクにプログラムをコピーし、
印刷したディスクシールが貼られ、
手書きやワープロで書かれたマニュアルはA4紙で白黒コピー・・
といった形が一般的だった。

同人ソフトは市販ゲームとはまるで違うアプローチのゲームが多く、
その魅力に取り憑かれていくと同時に、ある思いが渦巻いていった。
「俺様も作る側、売る側で同人ソフトに関わりたいゾ!」ってな。

 

コミケットとパソケットのどちらに参加するべきか?
コミケットは障壁が高いように思えた。
調べたところ、まず申込用紙を通販で購入する必要があり、
応募後に審査があり、審査に落ちたら参加できない。
そして参加費もそこそこ高かった。
(これは当時の記憶なので微妙に違っているのかも知れない)
パソケットは一般参加したときに購入したパンフレットに
参加申し込み書が含まれており、
これに必要事項を記入し、参加費を定額小為替で同封すれば参加可能だった。

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▲こちらは当時の申込み用紙

パソケットの参加費は1スペース3000円。(会場によって参加費は異なる)
1スペースというのはプロレスなどでよく見る長机の半分のことだ。
(狭いので2スペース横並びに借りた事もあったな)
開催される会場は浅草橋にある「東京文具共和会館」というところが多かった。

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▲こちらの施設は今でも現存する(2020年現在)

その他には都内では「都立産業貿易センター」「東京流通センター
といったところで開催されたのを覚えている。
パソケットは東京だけで開催されていたわけではなく、
大阪、千葉、高松、新潟、静岡、名古屋、京都、岡山、札幌、博多、函館、
高崎、浜松、大宮、水戸、富山、千葉、松山、松本、仙台、盛岡、いわき、神戸・・
といった全国各地で週一ペースで次々と開催されていた。
ものすごいパワフルな運営だった!

そういうわけで俺様はパソケット参加を決めた。
ただ一つ心配な事があった。
パソケット参加に年齢制限ってあるのだろうか?
申し込み要項には何も書かれていない。
その当時俺様は中学生だ。
バイトも出来ない年齢である。
そこで俺様は「高校1年生」と偽って応募する事にした(爆)。
当時の俺様を知る人はきっと
「あれ?帝王幻一郎、高校生活長くない?」と思ったに違いないw

 

パソケット参加は決まったが、
作る同人ソフトは何も決まっていない(^^;
普通サークルと言えば、何人かの仲間を集めて
プログラムを作る人、絵を描く人、BGMを作る人・・
といった役割分担をしてゲームを作り上げるものだと思うが、俺様はたった一人だ。
そしてプログラムもグラフィックも初心者同然である。
俺様は悩んだ。
そんな人間が作ったショボショボなゲームを人に売って良いのか?
そんな俺様に光明が指すパソコンソフトが存在した。
「ヨコスカウォーズ」という
横スクロールシューティングのコンストラクションツールである。
ログインソフトがTAKERUで販売していたもので、
今でもリリースされている「RPGツクール」の源流に近いソフトであった。
このツールで制作したゲームは、
ツール本体が無くても単体で起動できるディスクが作れた。
これならばプログラムがろくに組めない俺様でも形になる!
そうして生まれたのが「WonderWorld かいけつ!親分マン」というゲームだった。
当時から俺様は自分を「帝王」と名乗り、
ハイスコア登録などにその名前を使っていた。
なのでサークル名を「帝王SOFT CLUB」としたのであった。
1人しかいないのに何が“CLUB”だよと(^^;

 

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1スペースはかなり狭い。
最低限、用意するゲームの名前と値段が書かれたボードがあれば事足りるが、
中身のさっぱりわからない同人ソフトは全然売れない。
実機を持ってきてデモンストレーション出来ればベストだが、
当時のパソコンはそんな気軽な存在じゃない。
例えばPC-8801MAだと本体とキーボード合わせて10kg。
それにCRTディスプレイも含めると30kg近くになる。
自家用車でもあれば会場に運び込む事も可能だが、中学生には不可能だ。
そこで画面写真を撮って机に並べる事になる。
当然ながら画面キャプチャーなんてものは当時出来ない。
ゲーム画面を映したディスプレイをフィルムカメラで撮影するわけだ。
同じ画面を何度も撮る。ディスプレイには走査線が走っているから、
シャッタータイミング次第で黒いバーが写り込んでしまう。
これは現像してみるまでわからない。
この画面撮影は金も時間もかかるものだった。

ゲームが完成した頃。
ノーブランドのフロッピーディスクを大量購入。
これに当日までに配布したい部数だけコピーしまくるのだ。
ノーブランドのディスクはだいたい一番安いときで10枚300円ぐらい。
ブランドディスクを使ってしまうと10枚1000円以上した。
なるべく安くユーザーさんに配布したいから、最も安価なディスクを選択したわけだ。
そしてワープロで作ったマニュアルやディスクシールを印刷していく。
そうすると原価100円くらいになる。
それに交通費、参加費などもろもろ経費を割って上乗せするぐらいの値段で設定。
400円~600円ぐらいにしていたと思う。
同人ソフトで一儲けしようなんて考えはまったく無かった。

余談ではあるが、あるとき友人に「一緒に即売会に参加しない?」と誘ったとき、
「いくらぐらい儲かるの?」と返されて、
「ああ、思想が違う人とは一緒にできない」と気づいたもんだ。

 

あとはお釣り用の小銭を用意してブースでお客さんの入場を待つ。
開場までの間は他の88サークルさんをまわる。
自分の自作ソフトを挨拶がわりに渡していった。
するとかわりにそのサークルさんのソフトをくれたり、
サークルさんと仲良くなったりして良い交流になった。
開場時間の11時が近づくとカウントダウンが始まり、
時間ととともにお客さんが雪崩込んでくる。
あの興奮は今のイベントでも変わらないんだろうね。

 

一番困ったのはトイレだ。
一人でやってるからブースを空けてトイレに行くわけにはいかない。
11時から閉場となる15時まで4時間、
トイレに行きたくても我慢していなければならない。
なのでなるべく胃腸の中をカラにして前日の夜からコンディションを整えていた。
どうしてもという場合は、まだ売れ残りがあっても店じまいにしていた。

 

2回目の参加で「怪傑!親分マン2」を出した頃、
俺様の中で物足りなさを感じた。
「ヨコスカウォーズ」もいいけど、ちゃんとプログラムしたゲーム作らないと、
同人ソフト活動してるって言えないよなぁ~って。
そこで俺様は自分で出来る事を考えた。
今までプログラムと言っても
テキストアドベンチャーゲームぐらいしか作った事が無い。
そんな俺様にアクションゲームやシューティングゲームはハードルが高い。
そこでSLGにターゲットを絞った。
SLGであればシステム的な仕組みを確立すれば高度なプログラムは必要無い。
あとはグラフィックが表示できれば良い。
グラフィックの作成はポプコムソフトの「ダ・ビンチ」というものを使った。
理由はソフトの値段が安かったからw
他のサークルの人に「ダ・ビンチ使ってます」って言ったら大体、
「え!?使いやすいですか?」と聞き返された。(^^;
そうして生まれたのが「幕府の改革」だ。
以後、SLGシリーズは定番となり、
三国志英雄伝説」「アイドルクエスト」「アイドルクエストII」
「受験戦争」と続いた。

「ヨコスカウォーズ」を使ったゲームも引き続き作り続けた。
「ソーサリマン」「戦国ソーサリマン」「ラストソーサリマン」である。
「ラストソーサリマン」で横スクロールシューティングをやり切ったと思った頃、
「タテスカウォーズ」という
縦スクロールシューティングが作れるツールが発売された。
今度は縦シューにも挑戦してみるか、と「機動警察SIGUMA」を作った。
だが今まで縦スクロールのビューで絵を描いた事が無かったので苦戦した。

これらと平行して「帝王通信」というディスクマガジンを月1ペースで刊行していた。
当時はパソコン通信に憧れていたが、
実家住まいの学生にはハードルがめちゃめちゃ高かった。
パソコンを使うたびに電話料金が加算されるなんて、親が納得するわけがなかった。
そこで俺様は考えた。
パソコンユーザー間のテキスト交流をアナログな郵送でやれば良いのではないか?と。
読者からの投稿を手紙で送ってもらい、
それをディスクにまとめて月のはじめに配布する。
この試みは第47号まで続いた。

さて、そんな俺様の同人活動も、88の衰退とともに幕を閉じた。
88のソフトをブースに並べても手に取る人がいなくなっていったからだ。
俺様にとって同人活動表現の場であり、交流の場であった。
その両方が満たされるインターネットというものが普及し、
形は違えど表現と交流の場が継承されている事は幸いである。


手前味噌ではあるが、明日から数回に分けて、
自作ソフトのセルフレビューを残しておきたいと思う。