パッケージの挿絵は理想図では無かったんだ・・

ビデオゲームのパッケージ絵。
俺様が子供の頃、それは実際のゲーム画面とは雲泥の差があった。
ゲーム機のスペックが低すぎるあまり、想定したビジュアルは表現できない。
だからせめてパッケージイラストでそれを示し、
ユーザーの想像力で補間して貰おうとしていたのかと思っていた。
例えばこちらはPC-6001用ゲームソフト「骸骨は死の臭い」。

ダークファンタジーにSFの要素も加わったような魅力的な構図だ。
この世界観がゲームに落とし込まれたらどんな素敵な体験になるだろう・・
ワクワクしながら起動したらゲーム画面はこうだった。

このゲームだけ特別そうだったわけじゃない。
パッケージ画面がそのままゲーム画面に落とし込まれているゲームなんて皆無だったし、
それが普通だった。
 
あれからウン十年の時が過ぎ、ゲーム機のスペックはどこまでも高くなった。
あの頃にパッケージでしか実現出来なかった理想がゲーム内で叶うようになった。
なったのだが、実はあれらの挿絵は理想図では無かったのではないか?と疑問が沸いてきた。
例えばファミコンアクションゲームの最高傑作スペランカー
1985年当時のゲーム画面はコチラ。

そしてその理想図と思われたパッケ絵がコチラ。

そして2017年に発売された最新作がコチラだ。

まったく理想と違うものになっている。
じゃああの挿絵はなんだったのだ!
あの挿絵を見たときのトキメキは幻だったとでも言うのだろうか!?