プロレス回顧録(05)「G1 CLIMAX 1992」

もともとシリーズ化する予定ではなかったG1クライマックス
予想以上の好評だったために1992年も開催される事になった。
だが新日本トップだけの濃密なリーグ戦として行われた第1回とは大きく異なる。
この年のG1はなんと16選手によるトーナメント

一回戦の組合わけは以下の通り。

スコット・ノートンvsクラッシャー・バンバン・ビガロ
蝶野正洋vsトニー・ホーム
武藤敬司vsバリー・ウィンダム
ティーブ・オースチンvsアーン・アンダーソン
リック・ルードvsスーパー・ストロング・マシン
橋本真也vsザ・バーバリアン
佐々木健介vsジム・ナイドハート
テリー・テイラーvs馳浩

藤波、長州は不参加。
「なんか外国人多くね?」と思われるかも知れない。
当時、新日本はアメリカのNo.2団体であるWCWと業務提携をしており、
このトーナメントには16名中7選手がWCWルートで呼ばれた選手だった。
新日本最強決定戦というよりは、
新日vsWCWの対抗トーナメンントという色合いが強かったのだ。
さらにこのトーナメントにはNWA世界ヘビー級ベルトも賭けられていた。

 

初日、1992年8月2日。静岡産業館。
入場式にて馳が欠場の挨拶。
一回戦「テリー・テイラーvs馳浩」はテリー・テイラーの不戦勝となる。
この日はまずスティーブ・オースチン
アーン・アンダーソンにギロチンホイップで勝利。
まだ世界的にブレイクする前のオースチンとベテランのアンダーソン。
オースチンはまだデビュー3年目。髪の毛はえてますw
ま~、地味な試合だったね~。

続いてノートンとビガロ。
ノートンは脇腹を痛めているのかテーピングをしている。
そして試合中に額を割られて真っ赤に染まるノートン
テレビ解説ではマサ斉藤さんが
ノートンは家を買ったんですよ。
日本で頑張ってお金を貯めないといけないんですよ。」
ノートンを応援していたw
ノートンの試合は荒いけど、思い切りがあったね。
かわされてもブン回してるし。
最後はパワースラムで勝利。

セミファイナルでは武藤がバリー・ウィンダムムーンサルトプレスで勝利。

そしてメインは去年優勝した蝶野がトニー・ホームと激突。
後半はボクサー出身のホームをSTFでギリギリと絞め上げ、
ギブアップしないとみるや腕ひしぎ十字固めに切り替えてギブアップを引き出した。

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2日目、1992年8月7日。愛知県体育館
この日はリック・ルードがダイビングダブルニードロップでマシンに勝利。
橋本真也がザ・バーバリアンにDDTで勝利。
そして佐々木健介がジム・ナイドハートにパワースラムで勝利している。
初日のカードに比べて弱い組み合わせ。
テレビ収録もなく、公式戦がメインでも無かった。
(メインは長州&マサ斉藤vsビガロ&ホーム)

 

3日目、1992年8月10日。両国国技館
この日はラスト4試合が公式戦。
まずは佐々木健介vsテリー・テイラー。
2回戦だけど(馳の不戦敗により)初試合となるテリー・テイラー。
デビュー13年目のシュッとしたイケメンだったけど、試合はノラリクラリで印象薄い。
健介が逆一本背負いで勝利。テイラーは当時の典型的なアメプロレスラーだった。
次の試合は橋本真也vsリック・ルード
ルードはタイツに芸者のイラストが描かれたド派手な日本仕様で登場。
ムキムキでフレディ・マーキュリーみたいな顔してて、
女性マネージャー(メドューサ)も連れてるし、
アメリカンプロレスを体現したようなカッコ良さだった。
橋本に蹴りまくられてフラフラだっだが、
最後の雪崩式DDTは鋭い危険な角度だった!

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動けない橋本にダメ押しのダイビングダブルニードロップで勝利。
セミは武藤vsオースチン
オースチンやっぱり地味だわ。
まさかこのあと大スターになるとは夢にも思わなかった。
武藤がムーンサルトでピン。
メインは蝶野vsノートン
ノートンは腰が相当に悪そう。
最後はコブラツイストから丸めての勝利。

 

4日目、1992年8月11日。両国国技館
この日は準決勝。
まずは健介vsリック・ルード
ルードのインサイドワークの前に健介完敗。
そしてメインは前年の決勝カード、武藤vs蝶野。
G1前から首を痛めていた蝶野。
試合は25分をこえて武藤のドロップキックをかわした蝶野がSTF。
武藤は背中を反らせてギブアップ。

最終日、1992年8月12日。両国国技館
決勝はリック・ルードvs蝶野正洋
アメリカンプロレスvsストロングスタイルという舞台が整った。
場内に「FANTASTIC CITY '92」が鳴り響くと大蝶野コールが巻き起こる。
試合前、蝶野になにやらペラペラしゃべっているルード。
そしてビンタ。すると蝶野がビンタをやり返す。
このときのルードの顔がまた良いんだ。

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そこから蝶野のラリアット連打。
蝶野が動きを止めると時間差でバタッと倒れるルード。千両役者!
リック・ルードもいやらしい。首を痛めてる蝶野にパイルドライバー。
そこからフライングダブルニードロップ。
リング中央でSTFを決めても自らロープへと這いずって逃れるルード。
最後はリング下へ投げ飛ばされた蝶野が、
コーナーに登ってのフライングショルダータックルでピンフォール
29分44秒、普段はつなぎ技のフライングショルダータックルで勝利。

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歴史的に考えると蝶野がG1を2連覇したというのが凄いのだが、
当時は2連覇よりも蝶野がNWAヘビー級王者になった事が
ことさら取り上げられていた。

この第2回G1は一体何だったのか?
プロレス界の一大ブランドであるG1クライマックスを生み出す過程の実験興行。
第1回が「ストロングスタイルの極み」ならば、
第2回は「アメリカンプロレスとの融合」。
そんなテーマの実験だったように思える。

 

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それにしてもリック・ルード、素晴らしいレスラーだったな~。
あの時期、ルードが試合中に魅せた“腰ふりパフォーマンス”が流行ったな。
そんなルードだけど、2年後の1994年5月の福岡ドーム大会で、
WCWインターナショナル世界ヘビー級王座を賭けてスティングと激突。
試合には勝利したものの、頚椎損傷で現役生活に幕をおろした。
その後、マネージャーとしてプロレスシーンに登場し続けていたが、
1999年、心臓麻痺により40歳でこの世を去っている。
我々は1992年の5日間で輝いたリック・ルードを忘れない。