『ソーサリアン』というアクションRPGが昔あった。
共通した成長システムの上に15本の独立したシナリオが存在。
それらを選択して冒険する。
内容はサイドビューのアクションRPG。
操作テクニック、キャラクタの成長、謎解き(フラグ立て)が
バランス良く配分された傑作ゲームの一つだ。
シナリオ独立という性質上、シナリオを別売りで追加していく事が出来る。
通常のRPGはオープニングからエンディングまでの長さが決まっている。
その間の時間を山あり谷ありでバランスをとっていけるように設計する。
だが、シナリオが追加されるとなるとそうはいかない。
どこまで続くかわからない冒険に“ちょうどよい成長カーブ”は描けない。
『ソーサリアン』はそれを解決できなかった。
追加シナリオを数本遊ぶ頃になると、パーティは強くなり過ぎており、
それに配置された敵はほとんど瞬殺。
もうほとんどアクションアドベンチャーゲームを遊んでいる感覚で、
後半になるほどアクションや成長の面白さはスポイルされ、
いかに面白可笑しく“おつかいイベント”をさせるか?に集約されていったように思う。
この“アクションRPGの成長カーブ問題”は現代においても存在している。
スマホアプリの運営型ゲームがそれだ。
プレイ中の課金を収入源としているから、プレイヤーに長く遊ばせたい。
だから明確な終わりを作らない。
プレイヤーが強くなるにつれて敵も強くしていけば良いのだが、
それでは「成長で強くなる楽しさ」がスポイルされてしまう。
特にアクション物となれば、数値だけの底上げではなく、
ビジュアルのパワーアップも不可欠だ。
際限なくビジュアルがハデになっていくなんて不可能だ。
(小出しにするとプレイ時間が長くなるだけなのはネットゲームでよく陥る問題である)
スマホゲームを遊んでて、
ふと「もうこのゲームは遊ばなくてもいいかな」と気持ちが切り替わる瞬間がある。
そんなときは大抵、成長カーブに限界が見えたときだ。
そのときの気持ちはかつて『ソーサリアン』で
「なんかアドベンチャーゲームになっちゃったな」
と感じたあの頃ととても酷似しているように思う。
そもそも俺様はちゃんと終わりのあるゲームの方が面白いと思ってるけどね。(^^;
その方がクリエイターのセンスが体感できるから。
システム面においてもストーリー面においても、緊張と緩和を演出しやすいから。
なので、もしかしたら“アクションRPGの成長カーブ問題”よりも先に、
「終わりのあるゲームで収益を満たす方法」を生み出す方が早いのかも知れない。