俺様とPC-6001mkII

皆さんはNECが出していたPC-6001というパソコンをご存知であろうか?
NECのパソコンと言えばPC-8001PC-8801が有名であるが、
同じ時期に市場へ投入していたのがPC-6001シリーズであった。
60シリーズは日本電気のテレビ事業部を担当していた
子会社の日本電気が開発しており、
マイクロコンピュータ事業部が開発した80シリーズとは別のルートから生まれている。
低価格、テレビに出力できる、キーボード一体型・・
といったホビー性を強調し、テレビ事業部の強みを生かした販路で普及に貢献した。
その存在は80シリーズよりもMSXシリーズに近いものがあった。
だがのちに80/88シリーズはホビー路線にシフトチェンジ。
競合する60シリーズは打ち切りという結末になってしまう。
そんな哀愁漂うシリーズの世界を思い出してみよう。

1981年11月10日。
8万9800円で登場したPC-6001

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パピコンの愛称がついた最初からライト感覚のパソコンだった。
キーボードの配色もカラフルだったね。

それから2年弱が経過した1983年7月1日。
PC-6001の上位互換機が発売される。
(値段は上位互換機なのに5000円下がって8万4800円だ)
それがPC-6001mkIIである。

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グラフィック機能の強化、音声合成の標準装備、
高級感が備わったシルバーボディ。

俺様が初めて目にしたパソコン(当時はマイコンと呼んでいた)こそが
このPC-6001mkIIだった。

友人Sにマイコン買ったから見に来いよ」と言われS宅へ。
マイコン?ダイコンの親戚か?」
ぐらいの知識しか無かった俺様の目に移ったそれは、
人生で最も大きなカルチャーショックを与えたのだった。
当時はファミコンがまだ市場に登場したばかりの頃で、
何もかもが新しく目に映ったのである。
(ちなみに俺様はまだ小学生だ)

友人Sは俺様にパソコンで出来る機能を一つずつデモンストレーションしてみせた。
「テレビの画面に絵が描けるんだぜ!」
Sがキーボードをカタカタやると、カーソルにそってラインが引かれ、
ラインで囲んだ枠の中をグリーンで塗り潰してみせた。
「すげぇー!もう紙いらねーじゃん!!!」

「作曲だってできちゃうのさ」
Sがベーシックコマンドを打ち込んで実行。
わずか数分でパソコンから
「ド~、レ~、ミ~、ファ~、ミ~、レ~、ド~♪」
と“カエルの歌”が流れ出した。
「すげぇー!もう誰も楽器買わなくなるぜ!!!」

「もちろんゲームだって出来るぜ」
Sは取り出したテープをデータレコーダーにセットした。
それは「ダイヤモンドアドベンチャーというゲームだった。
(のちにマイクロキャビンが作ったゲームだと知る)

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これが生まれてはじめてプレイしたアドベンチャーゲームとなる。
それまで遊んだゲームといえば
アクションゲームかシューティングがほとんどで、
これは一体“ゲーム”と呼んでいいものだろうか?とさえ思った。

アナタハ イマ ビルノマエニイマス。
ドウスル?

簡素なグラフィックとともに画面に表示された「どうする?」という問いかけ。
広がる想像力。そして判断を間違えれば待っているゲームオーバー。
もちろん当時は英語入力。辞書を片手に、
いまどんな行動が出来るのかを推理する。

ドウスル?TAKE
ナニヲ?MAT
MATヲ メクルト KEYガ ミツカリマシタ!

簡単な成功を示すBGMが流れる。
これまで体験したゲームとはまるで違う。
別次元の世界へ迷い込んだようなトリップ体験。
これがアドベンチャーゲームなのかぁ!(感動)
このテキストアドベンチャーゲームとの出会いが
パソコンゲームの印象を決定付けたと言って良いだろう。

「オリジナルゲームだけじゃなく、ゼビウスだって遊べるんだぜ」
「すげげぇー!あのゲーセンでしか遊べないハイテクゲームが家で遊べるのか!!!」

※のちにそのゼビウスは再現度が低くて
ナムコに移植と認められなかった「タイニーゼビウス」だと知るw

「もっと凄い事を教えようか・・」
するとSは『マイコンBASICマガジン』という雑誌を取り出して
ペラペラめくってみせた。
「ここに毎号プログラムリストというのが掲載される。
これを打ち込むだけでタダでゲームが遊び放題。」
錬金術か!これは錬金術なのかーっっ!!!!」

 

盆と正月、クリスマスに誕生日、結婚式とドリフターズ
いっぺんにやって来たくらいの衝撃を受けた俺様は、
「なにをおいてもマイコンを買わねば!」と決意をした。
しかし、小学生が突然マイコンをひょいっと買えるわけがない。
(いくら低価格と言っても84800円は未知の領域だ)
その日から小遣いやお年玉を貯めはじめる。
が、なかなか貯まらない。
そんなとき転機が訪れる。
先程の友人Sが「自分のマイコンを売ってやる」と言い出したのだ。

いま冷静に考えると、市場には既にPC-8801mkIISRが登場しようとしており、
60シリーズはハッキリ言って落ち目であった。
だが無け無しの資金を貯めている小学生にとって、
手に届くはずも無い雲の上の存在が地上に降りてきた最大のチャンスだった。
それに当時、俺様が理解できるマイコン専門書は
『こんにちわマイコンというすがやみつるの書いた(漫画の)解説本だけだった。
この本はPC-6001を元に書かれており、それも購入のきっかけとしては大きかった。

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俺様は友人SからPC-6001mkIIを購入した。
俺様は“神の窓”を手に入れたのだ。

こうして我が家にパソコンがやってきた。
友人はすでに一式揃えていたので、
データの読み書きに必要なデータレコーダーも揃っていた。
ディスプレイは家庭用TVを使用できるので購入する必要が無い。

ここからは機能や周辺機器、購入したゲームなどについて
記憶に残っている限り書いていこう。


■データレコーダー■

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データを読み終えるまでに2~8分ぐらいかかる。
現在のユーザーには耐え難い代物であると思われるが、
「パソコンは凄い物だ、だからそれだけ待つリスクを背負うのは当たり前」
という方程式が出来上がっていたのでまったく苦にならなかった。
データを読み込む間に、マニュアルに目を通す優雅さがあった。
さすがに8分待って読み込みエラーになるのは参ったが。
ピ~~~~~~~~~~ガガ~~~~~~~~……
という読み込み音は、
この時代を生きた人間にとってはもはや癒し音になっていると思うがどうか。

このデータレコーダーは一度故障して、NECに修理に出した事がある。
実は普通のカセットデッキでも流用可能だったようだが、
データ出力専用のボリュームコントロールはデータレコーダー特有の機能だったので、
読み書きの精度が違ったようである。


■TALK文の神秘■
BASICの命令の中で、このPC-60シリーズにしか存在しない命令がある。
それがTALK文なのである。
これはどんな代物なのか?
以下のように入力して実行してみよう。

TALK"OHAYO-GOZAIMASU"

すると・・
パソコンが「おはようございます」としゃべるのだ!
今でこそマイクを使えば生声さえもデータ化できるが、
当時はゲーム中に一言しゃべるだけでも喝采された時代だ。
それを自分の好きなようにしゃべらせる事が出来るのだから凄い。
これにはハマった。
どのくらいハマったかというと、このTALK文だけで
「全編話すテキストアドベンチャーゲーム」を作ったほどだ(^^;

以前にも書いたがフルボイスのアドベンチャーゲームを作ったのは
俺様が世界初だろうw

この命令の欠点は抑揚がうまくつけられない事だ。
語尾を上げたり下げたりは出来たが、とても人間が話すようには出来ない。
その機械的なしゃべり具合は、物笑いのタネにされる事もしばしばである。
この命令では、あらかじめハード内に登録されている音声を使う事も可能だ。
「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」「故障中です」
などである。この音声だけは妙にリアルで、よくプログラム上で活用したものだ。


ジョイスティック■

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ジョイスティックも本体一式の中にあった。
手の平サイズのBOXからスティックが伸び、
両サイドのボタンがミサイルなどに対応していた。
それを左手の上に乗せて親指と人差し指でミサイルを撃ち、
右手でスティックを動かすといったものである。
いま考えるとこの操作感はジョイスティックではないのだが、ジョイパッドでもない。
ジョイスティック=アーケードと同じ仕様”の概念がまだない時代の話である。
まあでもキーボードよりはマシだったかもな。


■プログラムリスト打ち込み■
「雑誌を買えば無限にタダでゲームが出来る!」
というのはウソでは無かったが、結果は少々違うものになった。
実際、リストを見ながら正確に打ち込むのは困難を極め、
結局のところ60で打ち込んだプログラムできちんと動いたものは無かった。(^^;
何時間もかけてリストを打ち込み実行するもエラーで止まる。
どこか掲載リストと違うのか画面と雑誌を交互にニラメッコ。
この作業がとてつもなく苦痛だった。
結局のところ、意味もわからず写経のようにアルファベットを打ち込み続けるよりも、
自分でプログラムの構造を理解して、出来る範囲でゲームを作る方が楽しかった。


■野球狂(ハドソンソフト)■

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ファミコンのベースボールに匹敵するゲームが欲しくて購入した。
このゲームの特徴は、チームをEDITできる事である。
つまり、名前とデータ(打率など)を入力する事で
全球団の本物のデータで遊ぶ事も可能だし、
自分だけのオリジナルチームも作れてしまうという、
この時代にしては画期的な野球ゲームである。
しかし、1チームごとにカセットテープ1本使用するので、
野球狂のデータだけに使われた12本のテープは非常に邪魔であった。
(しかし全球団入力したとは、我ながらアッパレw)


リザードクリスタルソフト)■

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「ダイヤモンドアドベンチャー」がAVG初プレイ作品なら、
本作はロールプレイングゲーム初プレイ作品である。
最初に“RPGの仕組み”が理解しやすい本作に出会えたのは幸いであった。
これによってレベル上げの楽しさに魅了されたのは言うまでもない。
もちろん非常に好きな作品ではあるのだが、
続編の「アスピック」を購入しておかなかった事で、
のちのち10年以上後悔する事になった。
(88に移植されると思って買わなかったのだ…)


■ザ・ブラックオニキス(B.P.S.)■

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リザードで味を占めたあとに買ったRPGがコレ。
パーティを組むRPGという事でこれもかなりハマった。
パーティの1人1人をそれぞれ担当して、数人で遊ぶという変則プレイもしていた。
このゲームも続編の「ザ・ファイヤークリスタル」は
60シリーズで発売されなかった。
NECに打ち切られた60シリーズにはこういう悲劇のタイトルが多い。


■トリトーン(ザインソフト)■

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アクションゲームとRPGが合体した
アクションRPGというゲームをはじめてプレイしたのが本作だ。
RPGの成長要素ってこういう風にも表現できるんだなぁと世界がまた一つ開けた。
BGMの『デッデー デッデー デデーデ』という独得のリズムは、
今でも頭にこびりついている。
とにかく思い出深い作品である。


ハイドライド(T&E SOFT)■

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ハイドライドを最初に遊んだのも6001版。
とにかく夢中になって遊んだ。
一つの箱庭の中で好きな場所に移動して成長させたり、謎を解いたり・・。
この感覚はまたファミコンにもゲーセンにも無かった。
そう言えばこのゲームも続編は60シリーズに出なかったね(T_T)


軽井沢誘拐案内エニックス)■

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AVGにシナリオ性を強く感じて、深い感銘を受けた作品。
また、コマンド選択式という(コマンド入力式とは違った)新しいシステムは
AVGが次のステージに進んだ気がした。


ウイングマンエニックス)■
マンガそっくりのキャラクターがそこに表示され、
その世界の中でアドベンチャーゲームが出来る!
それだけで、この難解なAVGをエンディングまでプレイさせるパワーを持っていた。
このゲームと「軽井沢誘拐案内」はカセットテープ2本組だった記憶。
シーンが変わるたびにカセットテープを読み込ませるのはシンドかった~。


ロードランナー(システムソフト)■

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ともかく完成度の高いアクションパズルゲームだった。
小学生だった俺様の脳をトロトロにした。


■フロントライン(ニデコム)■

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これも本体と同時購入だったかな?
戦場の狼』のようなゲームで、途中で戦車(大と小の2種)に乗り込む事もできる。
ジョイスティックでもプレイ可能だが、
なにより問題だったのは戦車の乗り降りがTABキーのみの対応だったこと。
つまり、ジョイスティックでプレイしてもキーボードに手を伸ばさなければならず、
それがきっかけで敵に殺されたりした。
キーボードも現在のような小型化されたものではないので、
小学生にはTABキーは遠く感じたのだ。
友達が遊びに来たときに『TABキー担当』になってもらったりして攻略した。
あれも1つの協力プレイゲームだったのかも知れない。(^^;


□最後に...□
なぜこれほどまでに当時のパソコンがセンセーショナルだったかと言えば、
それは全てが未体験の代物であったからだと思う。
軽井沢誘拐案内」「ハイドライド」「リザード」「ロードランナー」・・・
俺様にとっては傑作であっても、
数万本のゲームを目のあたりにしている今のユーザーが
これらをプレイしても、ただの古臭いゲームにしか映らないだろう。
しかし懐古主義でもなんでもなく、夢中になった事実は存在するのだ。
ゲームにはそれぞれそれを最も楽しく遊べる時期があると思う。
パソコン創世紀時代。
あの場所を経験できた事はラッキーだったし、
その後の人生を決めた時間だったようにも思う。
S君ありがとう。