ウィリエム・ルスカの思い出

1972年のミュンヘン五輪柔道男子で2階級制覇を達成。
プロ格闘家に転向後、アントニオ猪木が宣言した「異種格闘技世界一決定戦」に名乗りをあげ、
初戦の相手として記憶されている“オランダの赤鬼”ウィリエム・ルスカ
そんなルスカが2月14日、74歳で他界した。

1976年に行われた異種格闘技戦はのちのちVTR観戦したわけだが、
それからずっと後にルスカは一度だけ新日本プロレスに参戦している。

1994年、新日本のシリーズに参戦していたルスカは、
11月13日の東京ベイNKホールで旗揚げした平成維新軍自主興行にもエントリー。
なんと後藤達俊シングルマッチを行うというマニア好みのカードだったw

空手家出身とはいえ、
格闘色の薄いプロレスをする後藤相手に千切っては投げ、千切っては投げ。
「ルスカ強すぎるだろw」と一緒に観戦した知人と苦笑していたのを覚えている。
とくかくその体幹が安定した動きは
すでに54歳の柔道家とは思えないキレの良さで、
ノールールでやったら(当時の)新日本にはかなう選手いないんじゃないか?
とさえ思った。
(ちなみに同じく地力の強さを感じた選手はブラッド・レイガンスだw)
そんな強者が晩年は脳出血で14年間も車椅子生活を送っていたというんだから
人生というのはかくも過酷な物語である。

余談ではあるが、上記の平成維新軍の記念すべき旗揚げ戦のメイン。
タイガー・ジェット・シンと試合をした越中詩郎だったが、
特別レフェリーを買って出た猪木が
シンをスリーパーで絞めるなどの脚光を浴びてしまい、
すっかり顔を潰されてしまった。
「猪木ひでーな」とここでも苦笑した。(^^;