俺様が思うゲームの歴史の残し方

歴史というと仰々しいが、
俺様はこのブログでなるべくゲームが残した足跡を伝えていきたいと思っている。
それらを残す上で必要なのはやはり
当時の原体験であり、
そして記憶と事実を埋めるための再プレイであると思う。
当時そのゲームなりゲーム機なりを体験していない人が
後から文献や資料を調べてまとめても、様々な事実が隠されてしまう。

例えば、ゲームボーイ
当時、大ヒットしていたファミリーコンピューターだったが、
家のテレビに繋いで遊ぶファミコンは、プレイ時間に限界があった。
一台しかテレビが無い家庭もあったし、
ずっとファミコンで遊んでいると親の目も厳しくなっていく。
このプレイ時間を広げてあげればもっとビジネスも広がるはず。
ゲーム&ウォッチという成功体験があった任天堂は、
外でもゲームが遊べるようにゲームボーイをリリースした。
ゲームボーイは日本だけで1280万台以上を売り上げる大ヒット。
かくして子供達は家ではファミコン、外ではゲームボーイを遊ぶようになった。

・・と書くと、もっともらしい歴史に思える。
が、これに俺様の原体験を照らし合わせると
「子供達は外でもゲームを遊ぶようになった」という点が疑わしくなってくる。
ゲームボーイが発売された当時の小中学生にとって、
電池はとても高額だった。
ゲームボーイは単3形マンガン乾電池4本必要だ。
これを毎月何回も交換するとなると、その値段でソフトが一本買えてしまう。
これは小中学生にとって死活問題だ。
だったら最初にACアダプターを購入した方がいい。
(たしか1500円くらいだった)
俺様の周囲ではゲームボーイはACアダプターを繋いで家で遊ぶものであり、
外へと持ち出すのは通信ケーブルで友達と対戦したり、
長時間移動したりするピンポイントな日だけであった。
(外で日常的に遊んでいる人はあまり見かけなかった)
全国的にも同じ状況だったのかは知らないが、
状況証拠的に似たような環境だったのではないか?という推測はする事が出来る。

こういった事は、文献や資料を漁ってもなかなか辿り着けない。
生き証人が伝承していく事が大事なのである。
ところがマイナーなゲーム機や古いゲーム機ほど生き証人の数は少ない。
例えば「インテレビジョンを当時買って遊んでました」という人は希少だし、
その証言は貴重である。

俺様としては多くの生き証人の話を聞きたいと思うし、
自分の体験した証言は残して行きたい。
そのツールとしてこのブログという形は今のところ最適解に思える。

 

ゲームボーイ(旧タイプ本体)