1992年10月23日。
日本武道館で開催されたUWFインターナショナル「格闘技世界一決定戦」。
北尾光司は問題児のイメージが強い。
相撲界を部屋とのトラブルでおわれた北尾は、
新日本プロレス、SWSとプロレス界でも2度の追放劇。
“傍若無人”で“人間性に問題のある人”というイメージのまま永久追放。
だったのだが、プロレス誌のとある記事で「え?」となった。
プロレス業界に復帰不可能と思われていた北尾光司だったが、
突如、空拳道なる武術に入門し、格闘家に転身していた。
それだけではなく、あの“傍若無人”な態度は一変。
謙虚な低姿勢で、その発言もこれまでとは180度違うザ・謙虚。
変わり過ぎて思わず誌面を見て笑ってしまった。
で、そんな生まれ変わったw北尾が上がったリングがUWFインター。
「高田延彦“最強”プロジェクト」進行中のインターにとって、
あの体格で武術家になった北尾は、強さにおいては説得力もあり、
高田の格好の相手だった。
インター参戦初戦の相手は山崎一夫。
この試合では山ちゃんのサブミッションでピンチのシーンがあった北尾。
高田戦でグランドで捕まったらヤバイなと思ったのか、
ルールに難色を示し、最終的には3分5ラウンドというルールで了承。
3分だったら寝かされても何とか耐えれるだろうと思ったのか?
そして試合当日。
高田も3分では関節技は決まらないと思ったのか、
ずっと打撃中心の展開。
北尾、この試合で全然打撃ださねーの。
ほとんどサンドバック蹴ってるかのように高田のローキックが決まる。
北尾は終始、武術っぽい構えで蹴りを受けるのみ。
高田のローキックがバシッバシッと決まるたび「オオーッ!」と歓声が凄い。
北尾が唯一攻撃らしい攻撃をしたのって、
第2ラウンドの裏投げぐらいじゃないかな?
当時は格闘技の知識も浅いから、
「ひょっとして北尾の体格で武術学んだら超強いんじゃねーの?」
みたいな幻想も少なからずあった。
だから、高田の蹴りを受け続けてもポーカーフェイスの北尾を見て
「高田の技が全然効かねーぞ!北尾つえーっ!」
と思った。
だけど今見ると、これずっと効いてるよ(^^;
蓄積されてるよ(^^;
そして最後にはハイキックがスマッシュヒット。
崩れ落ちる北尾に観客は大熱狂。
高田最強伝説がまた一つ階段を登るのであった。