残酷な拷問はなぜ存在したのか?

『ファラリスの雄牛』って知ってる?
古代ギリシアで設計された拷問器具である。
合金で作られた牛の中に人間を閉じ込め、下から炙る。
中の人間は自らが焼け焦げていく苦しみをジワジワ味わい、
10分以上かけられて炙り死んでいくという。
牛の口の部分にはトロンボーンのようなものが仕掛けられていて、
中で死んでいく人間の放つ悲鳴が、
外部には牛の声のように聞こえる仕掛けがあった。
これを考えた奴も鬼。そしてこれを処刑のみならず、
パーティの余興としても使っていたファラリス王も鬼である。

拷問や死刑には様々なものがある。
ただ殺すだけなのになぜここまで工夫の必要がある?というものだ。
壷の中に毒虫を大量に入れて人をそこに押し込むとか、
死なない程度に皮を剥ぎ続けるとか、
熱した鉄柱に抱きつくように命令して焼き殺すとか、
腹が破裂するまで水を飲ませるとか…。
思うに罪の等級を決めるときに
「殺してもなお許せない罪のものを罰するにはどうすればいいか?」
と考えたときに、
“いかに苦しんで死ぬか”
で罪の重さとリンクさせていったんじゃないかな〜と思う。
またそれが重ければ重いほど犯罪の抑制にもなるしな。
そう考えると日本の切腹なんかはかなり優しい。
痛みで苦しまないように介錯してくれるんだから。
何でもギロチンの刃が丸いのも、
当時の王様が「刃が止まって罪人が痛みで苦しまないように」という配慮らしい。
今は死罪の事を極刑という。
最も重い刑罰。
昔はそれよりさらに重い刑罰があったって事だね〜。