レトロゲームの再現性・・の話

レトロゲームを完璧な形で復刻したとしても、
当時と同じ体感をしようと思ったら・・それは無理である。
何よりプレイする貴方のゲーム体験がそれを阻止する。
貴方のまわりには何万本というゲームの選択肢があるだろう?
貴方はその中から好みのものを選べる。
また、スマホアプリも含めて毎日新しいゲームが次々と世に出ている。
だが当時は選択肢なんてものはほとんど無かった。
そして一度買ってしまえば資金は尽きるので、
それを数ヶ月にわたって遊ぶしか無かった。
当然、情報源もいまほど豊かではない。
あるとすれば毎月1回発売されるパソコン雑誌ぐらいなものだ。
そうすると自分の中の想像力でそれを補間し、
インナースペースを構築していくしかない。
そして創世記ともなれば出るもの全てが新しい何かである。
全てのプレイヤーが未知の海へ飛び出す船乗りだった。
エンディングという目的地に到達するのも難解だし、
目的地が果たして存在するのかさえ怪しかった。

そういった事を全て現代において体感するのは不可能だ。
厳しい話になるが、そのゲームの本質を味わうためには、
限りなく発売日に近いタイミングでプレイするしか無い。

だがそれではレトロゲームが懐古主義の産物で終わってしまう。
それはあまりにも侘しい。
なので、少しでもその魅力が後世に伝わり、
本質が次のゲームへと伝承されていくように、
当時のゲームプレイ環境を証言していきたい。
そう思ってレトロパソゲーのテキストを起こす毎日である。